カルティエの歴史
カルティエ<Cartier>の歴史
1819年に誕生した、カルティエ創設者「ルイ=フランソワ・カルティエ」。 若かりし彼は、宝石商のアドルフ・ピカエールの元で宝石について学びます。 |
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カルティエの創設年とされている1847年、 カルティエはピカエールから、パリのアトリエを譲り受け、 このアトリエがカルティエ・メゾンの偉大な歴史の第一歩となりました。 |
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1853年には、ヌーブ・デ・プティ・シャン通りに本格的な店をかまえ、 59年にはイタリアン大通りに、さらに99年には、ルイ=フランソワの息子「アルフレッド・カルティエ」が ラ・ペ通りへと店を移転させていきました。 また、アルフレッドは3人の息子「ルイ」「ピエール」「ジャック」にカルティエの成長を託し、 それぞれに、パリ、ロンドン、ニューヨークという3大都市のショップを任せます。 なかでもパリに残り、カルティエの基盤を支えた長男のルイは、 その才覚をいかんなく発揮し、カルティエの発展に大きな影響を与えたと言われています。 |
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パリ、ロンドン、ニューヨークの3都市で世界的な宝石ブランドとして躍進したカルティエは、 イギリス国王エドワード7世に「王の宝石商、宝石商の王」と評されるまでになります。 そんな中、ルイは親交のあった飛行家アルベルト・サントスから、飛行中にハンドルから手を離さずに 時間を確かめる時計が欲しいと相談されます。(当時、男性が携帯するのは懐中時計が一般的でした) |
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その後も、樽の形からインスピレーションを得た「トノー」や、亀の甲羅をモチーフにした「トーチュ」、 戦車からインスピレーションを受けてデザインされた「タンク」など、 数々のウォッチ・コレクションを展開していくこととなるのです。 |
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1904年、イギリス王室(エドワード7世)の御用達となったカルティエは、 その後もイギリス王室の様々な儀式に際して、製品を提供していくことになります。 また、詩人ジャン・コクトーのためにつくられたという「スリーゴールドリング」(トリニティ)や、 香水コレクション「パル口コミ カルティエ」、ライターコレクション、レザーグッズ コレクションなど、 次々と斬新で新しい部門を開拓していきます。 |
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1970年代には、「レ マスト ドゥ カルティエ」を提唱し、機能的で広く 社会に受け入れられる新しい高級品ブランドのイメージを作り上げました。 1980-90年代には、数々の新しいコレクションが発表され、 その多くのコレクションが、世界中の人々を魅了しています。 |
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多くの貴族や諸侯に愛されたジュエリーブランドは、国際的に広く認知され、幅広い層の人々へ、 そのエレガントで繊細な輝きを届け続けているのです。 |
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